自由について 2

更新が遅くなりました。

 

と言いますのも、ジョン・ロックの統治論ですが、非常に難解ですw

流し読みでも全く頭に入ってこない・・・と思って読んでましたら、第1篇は王権神授説に対する批判ということで、自由についてとはあまり関係ないと今のところ判断。

 

第2篇に入り、ようやくわかりやすくなってきた。というか、ロックの自由権というのは非常に単純でシンプルであるからだ。

 

 

  1. 自然状態について

 

「―人々が他の人の許可を求めたり他の人の意志に依存したりすることなく、自然法の範囲内で、自らの行動を律し適当と思うままにその所有権と身体を処置するような完全に自由な状態である。それはまた、平等の状態でもあり、(中略)ある人を他の人の上に捉え、はっきりした命令によって疑うべからざる領有権と主権を与えるのでない限り、すべての人は相互に平等であるべきで、従属や服従はありえないということは、何よりも明白であるからである。」*1

 

 

 ロックの自由権というのは至ってシンプルだ。

他人が持っている自然権を害しない限り、何をやっても自由である。ここでいうはっきりした命令というのはとりあえず置いといて、要するに誰の支配も受けないということだ。

 

 

「自然状態にはそれを支配する自然法があって、すべての人はそれに拘束される。そして理性こそその法なのだが、すべての人は理性に尋ねてみさえすれば全て平等で独立しているのだから、誰も他の人の生命、健康、自由、あるいは所有物を侵害すべきでないということがわかるのである。」*2

 

 

そして、自然状態には自然法が備わっており、他人の所有物や自由などを侵害してはいけないということにつながる。

 

 

「―平和と全人類の保存とを欲する自然法が守られるように、自然状態においては、(中略)この法を侵す者を、その侵害を抑制する程度に処罰する権利を各人が持っているのである。」P.163

 

 

そして、他人の侵害を受けた時に、それに報復する権利を有している。財産を侵害された時はその損害賠償の請求をしてよく、また、暴力や殺人を犯した犯罪者については、人間が安心して一緒に暮らすことができないライオンなどの猛獣と同じように、自然法を犯したという理由で殺してもよいという理論である。

 

自然状態においては、全ての人が自然法を執行する権利を持つことで、法の執行者であり、そしてその量刑を決める裁判官でも有るということになる。しかし、自分に関する事件で裁判官になるのは不当であり、友人や家族をえこひいきすることは大いに有り得る。それは混乱と無秩序を生み出すことにつながるから、市民的統治がその不都合を改めるのには適している。

 

 

2.戦争状態について

 

 「人々が理性に従って共生し、しかも彼らの間を裁く権威のある共通の上位者を地上には持たないとき、これこそまさしく自然状態である。しかし、暴力や他の人の身体に対する公然たる暴力的意図があり、しかも地上には救済を訴えるべき共通の上位者が居ないとすると、これは戦争状態である。」P.170

 

自然状態とは、平和と共生を前提としており、戦争状態は暴力を前提としているという明確な違いを打ち出している。

 

 

3.奴隷制について

 

「人間は自分自身の生命への権力を持っていないのだから、契約によっても同意によっても、自らを他の人の奴隷としたり、他の人の絶対的恣意的権力に服して思いのままに生命を奪われたりすることはできないのである。」P.173

 

人は自分の生命に対する権力を持っていないとし、その権力を他人に譲渡したり、売り渡したりすることを否定する。

 

 

4.所有権について

「そこで、自然が与え、そのままにしておいた状態から彼が取り出したものは何であっても彼はそこで労働をそれに加え、彼自身のものを付け加えて、それへの彼の所有権が発生するのである。」P.176

 

所有権について、どのような過程を経て所有権が発生するのか、それは人間が自然物に手を加えた時に発生するものだとする。

しかし、労働といえども、例えば栗の木を植えるのも労働だし、栗の実を拾うのも労働だし、極論を言えば、他人の物を盗むのも労働であるということができる。所有権には限界があるということだ。

ロックによれば、所有権を持っている場所、つまり土地がその判断の基準となるという。栗の実は盗んだ者の所有物となるのではなく、その土地を所有しているの者の所有物となるのだ。

フロンティアのような辺境地では、そういったことは問題にならない。自分の手で開拓していくことがそのまま労働であり、労働の成果を享受することとなるからだ。

土地を放置して自然の荒廃した土地にしておくよりも、人間が手を加えたほうが、我々が享受できるものが多くなるとし、労働の重要さを説いている。

 

「しかし、金銀は食物、衣服、乗り物に比べると人間生活には殆ど役立たず、ただ人々の同意によってのみ価値を持つ―ただし、この場合でも労働がおおよその価値の尺度となるのだが―」P.190

 

ここに古典学派経済学者が主張する労働価値説の片鱗が見えることとなる。

 

以上をまとめると、

・自由とは、いかなる権力にも服さず、自然法のみを自らの規則とすることである。

・他人が自由を奪おうとすれば、それは戦争状態となり、抵抗することができる。

・地上に権威や権力があれば、戦争状態は権力によって決着させられる。

*1:伊藤宏之訳 『全訳 統治論』P.161

*2:伊藤宏之訳 『全訳 統治論』P.162