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今更だが佐野研二郎事件について

五輪エンブレムで世間をにぎわせている佐野研二郎氏ですが、大分落ち着いてきたところでしょうか。

 

このまま発展なく終わりそうな気配です。そもそも、佐野研二郎氏ももちろん問題ではあるが、問題の本質はいわゆる利権の構図にあると思っている。

 

パクリそのものは悪いことではない

例えば社会科学の世界では、先人の文献を活用し、応用して自らの理論を打ち立てることで発展してきた経緯がある。それは参考文献という形で引用されるのだが。

もちろん文章まで丸パクりはありえないのだが、少なくとも理論の一部分については継承するというのは大いにありえる。というかそれなしに人類の知的分野における発展というのは絶対にありえない。

パクりそのものは悪いことではない。むしろどの作品に影響を受けたのか、そういったものはすべて説明できなければならないだろう。特に今回の問題に関しては、「1964年のエンブレムへのリスペクト」があって、前作のエンブレムを継承した旨は言っていたが、別の要素は一切入っていないというのはさすがに無理があるだろう。

 

選考は出来レースだった

問題はそもそもこちらのほう。

そもそもデザインの公募にあたって、いくつかの賞を取っておかないと応募できない仕組み、さらにはその賞すらもデザイナー界という非常に狭い世界での賞だったという。

決定打としては、もともとのデザインがあって、それに似たものがあったので2回ほど修正をしたという。それってもう佐野氏でハナから決定してたってこと。しかしああいう狭い世界であれば当然起こりうることではある。

 

利権の構図にメスが入らない限り、こういった問題は必ず繰り返す。

オリンピックを誰が仕切るのか、誰が権限を持っているのか、そういったところにあいまいさが残る。

まあ利権の構図が判れば話は早いのだが、この世の中そうなっていない。色々な利権が複雑に絡み合っていて、どこから切り込んだら良いのかよくわからない構造となっている。今回は経済産業省電通博報堂、といった錚々たるメンバーが並んでいるが、こんなに利権が膨らんだ今、誰が切込みを入れられるのだろうか。そんな人間はいないし、今後も出てこないだろう。

 

戦後のように外部から財閥解体のような圧力がかかればいいのだが、そんなことは絶対にありえないだろう。

そして佐野研二郎氏に似た類似の事件は今後も続いていく。