現代の雇用制度。・・・昔の奴隷制度と何が違うの?
「奴隷」
非常に耳障りの悪い言葉です。
奴隷と聞くと、なぜか嫌悪感が出るのは、教育の賜物なのでしょうか。
まあ今の私にとっては、回りにいる方々殆どが奴隷のように見えます。自分の意志がない、自分で物事を決められない、そして誰かに食べさせてもらっている。自分に当てはまる人は非常に多いのではないでしょうか。
昔の奴隷制度について
奴隷制度について、詳細に調べてみようと挑戦したことが時期がありました。しかし、すぐさま挫折します。奴隷制度については研究者が少ないようで、Amazonで調べてもなかなかヒットしません。
一番詳しいのがWikipediaという始末である。
黒人奴隷とか、ムチで叩かれるとか、奴隷船に詰められるとか、こういったことをイメージする方が多いでしょう。
しかし、それは奴隷の歴史のほんの一部でしか過ぎません。
Wikipediaによると、古代ギリシャの約90%が奴隷だったといいます。私もここは別の文献でも読んだことがありまして、専ら生産活動に従事するものはほぼ全て奴隷がしていたということです。
奴隷になる人は、戦争の捕虜、多額の負債を持つ者、などが挙げられます。
注目すべきは、商人、生産者を始め、弁護士、医者を含めて皆奴隷が占めていたということです。黒人奴隷のイメージとは全く違いますね。ここがポイントで、奴隷にも貧富の差が合ったといいますし、さらに自由人にも貧富の差が合ったということが実態としてあったようです。
現代とそんなに大差ない
商人、生産者などが奴隷だったならば、今の労働者と殆ど変わりはないですよね。
現代の労働契約というのは、雇用者の指揮命令に従うことというのがメインです。そして、基本的に違法行為などに手を染めること以外には何でも指示ができます。
従業員は、雇用者である社長に歯向かうことができません。これはもう昔の奴隷制度の「ご主人様に歯向かうことができない」というのと何が違うのでしょうか。流石にムチに打たれることはありませんが、始末書(無理に反省文を書かせるのは憲法に反します)を書かされたりだとか、暴言をはかれたりとか、精神的な苦痛に関しては禁止されていませんからね。ムチで打たれる方がよっぽどマシな場合もあります。
ソースは少ないですが、これが真実だと思います。(文献を読んでいって、更に付け加えていきたいと思います。)
ヨーロッパの奴隷解放運動は歴史では学ばない
アメリカの奴隷解放運動は、歴史の教科書で習うところですが、じゃあヨーロッパの奴隷解放運動はどうだったのか?と思われる方はいらっしゃると思います。
私が読んだマルクス関連の書物で、記憶に残っているのが、ヨーロッパでは、労働者を酷使したほうが生産効率が上がるため、奴隷制度が自然淘汰されていった、という説でした。奴隷というのは、買うものなので、資産になります。資産になるということは、健康で、生産能力が高ければ高いほど、資産価値を維持することができます。酷使し続けると、奴隷といえども人間なので、病気になることにも繋がり、最悪死んでしまいます。死んでしまうと、資産を失うことになるので、主人は奴隷をあまり酷使することはしませんね。
そうすると、奴隷を買うよりも、雇用契約で、酷使することのほうが効率が良くります。当時やらせるのは、誰でもできる単純作業なので、酷使させて死んだとしても、代わりはいくらでもいる、ということになります。それならば無理をさせて搾り取って、死なせたほうが生産者にとっては有益です。ここはたしか資本論にも書かれてあったかと思います。奴隷制度のほうがマシだったのではないか、という内容が。
その事実は教科書では習いません。なぜでしょうか。まあ奴隷制度と現代の労働契約が大差ないことが知られたくない人たちがいるのでしょうね。奴隷でないだけマシだと思わされて、結局奴隷以下の労働をしている方々がどれだけいることでしょう。
昔と違うのは、抗う手段が用意されていること
我々は奴隷と聞くと、「黒人奴隷」「ムチ」「奴隷船」というような単語がぱっと浮かび、そして奴隷船のイメージが脳裏を駆け巡ります。
実際にはそういう事実はありましたが、その歴史は、大きな奴隷制度の歴史からいうとほんの一部でしかありません。
我々の生きている現代が、昔の奴隷制度とさほど大差ないということは、我々は知る必要があります。そしてそれに抗いたければ、抗う手段まで用意されてます。
どういう未来を切り開くかどうかは、全てアナタ次第です。
まとめ